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第2回「盛上げ隊の言葉の秘密」

2024年1月4日(木)17:12


◆否定的肯定法 に気をつけろ

盛上げ隊のやっかいなところは、

その言葉が、

「私は◯◯だ…」

と、いかにも私自身が自発的にそう思っているような形をとってくるところにあります。

もし、目の前の人が突然

「お前、何やってもダメだな」

と言ってきたらどうでしょうか。

「は? …てか誰?」

とか、思いませんか。


でも、もし「私は何をやってもダメだ…」と自分で思ってしまった場合は、それはまさに全世界の真実であるかのように思えてくるものなんですよね。
その世界には、ツッコミ役がいないのです。「なんでやねん!」とか「そんなわけねーだろ!!」という。かなり極端なこと言ってるから、真面目な顔して大ボケこいてるようなものなんですけどね。
だから、自分はダメだということをそのまま思い続けて生きることになってしまうのです。

ダメだと思っている人間は挑戦をしませんし、努力もしないでしょう。
わからないことは、わからないまま。
できないことは、できないまま。です。いつまでたっても。

そうなれば、私を不幸な人間にしたい盛り上げ隊の希望は願ったり叶ったりというわけです。

もし、その気持ちを言葉にできる人がいれば、「いやそんなことないでしょ」「もう一度やってみたら?」と言ってくれる人はいるかもしれません。

が、それも何度も繰り返せばその人も疲れて離れていってしまうもの。

心理学で、「否定的肯定法」というのがあって、

ネガティブな質問に対し、「そんなことないよ」…と言って肯定してもらうコミュニケーションのことを言います。

質問する側は、「そんなことないよ」と言ってもらえると安心するものですが、
逆の立場になると、「そうだね」「その通りだよ!」と、YESで答えられる質問より、ストレスがかかるものなのです。

例えば、

「私って何やってもだめなんだよね…だから生きてる価値ないよね…」
「そんなことないよ! 価値がないなんて言わないでよ~」

と、

「私って不器用なんだけど、精一杯一つ一つ取り組んでみたいと思うんだ」
「そうなんだ! それでいいと思うよ!」

というふたつのやり取り。
相談者はだいたい似たようなこと言ってるんですが、言い方が違って、シンプルに自分に対して冷酷か優しいかであるかと思います

相談する時点で、すでに自分が自分の味方なんですよね。だから、答える方も気が楽というか、応援してあげるだけ。
ところが、「私には生きる価値がない」なんて言われたら、「どうにかして自信持たせてあげないと!!」という妙なプレッシャーがかかってしまいます。失敗して落ち込んじゃったら「自分があんなこと言ったから…」「うまく励ましてあげられなかったから…」という罪悪感を負うリスクもあります。


だから、他人には、ネガティブ発言→否定してもらう…というやり取りよりも、
ポジティブ発言→いいね! みたいなやりとりが多いほうが友好な関係が築ける…というのは想像しやすいですよね。

自分に自信がなくて、自己否定が強くてしんどい。
誰かに否定してもらえば一度は止まる。
だけど、…それでも、やっぱり他人にはネガティブな発言は控えたほうがいい。


◆本心は他人に否定されたくなんかない

でも実際、自分を否定したくない自分もいることがわかります。

もし全く知らない他人から「お前クズだな」とか言われたら、
少なくとも「そのとおりです、ごめんなさい」とか思わないし、まず「あんた誰?」が先に出てきます。

だから、本当のところは否定なんかされたくない。
さきほどの否定的肯定法だって、最終的に自分を肯定してもらう手段なんですから、
もし 「うん、生きる価値ないね。◯ねば?」 とか言われたら、ブチ切れるか、二度とそいつには相談しない…みたいなことを思うかもしれません。(掌返しがすごい)
…ってことは、私は、自分をダメだか、生きる価値がないとか思いながらも、実際は自分のことが大好きな、自分可愛い人間でもあるんですよね。

だけど、自分ではどうしようもないくらいの自己否定でしんどいと思っていることも事実。だからややこしいのです。

それで、この、誰かがいちいち否定しなければならないネガティブ発言が、盛上げ隊の仕業だと仮定をすると、すこし扱いやすくなる気がしました。


◆盛上げ隊は、「お前は」ではなく「私は」の形で自己否定をしようとしてくるものである

そういうことにすると、

「私は何をやってもダメだ、生きる価値がない」



「お前は何をやってもダメだな、生きる価値がないな」

となって、


「そこまで言う? てか、そんなことはないでしょ」

ぐらいのツッコミを脳内で入れることができることがわかりました。

それまで何も言い返しようもなかった私にとっては、これは画期的な発見です。


だからもし、
「私はダメだ」 の類のことを思い始めたら、
そのまま発言するのではなく、

「出たな! 盛上げ隊め!! 姿を現したな!!」

と思って
発言の「翻訳」もしくは「置き換え」という作業を行います。


↑と同じように、一人称を変えるのです。


発言の「私」を「お前」に置き換えましょう。


すると、否定発言するのが自分ではないので、そんな自分を客観的に見られる気もしてきました。


「私はダメ人間だ」は「お前はダメ人間だ」

「私には価値がない」は「お前には価値がない」

「◯にたい」は、シンプルに「◯んでしまえ」



自分自身に言っていたから訴えられたりしませんが、
もし他人に言っていたらパワハラモラハラ間違いなしの言葉の羅列です。
そんなことを毎日平気で行っているのは恐ろしいことですが、長年の癖でもあるので、これらの言葉を使わずにすむようになる…というのはまた段階の話なのかもしれません。

とにかく、
自分自身で「そんなことないよ」と言い返せるだけで、自分も延々と自己否定をしなくてもいいし、他人に言ってしまって付き合いにくいと距離をとられてしまうこともありません。

暫くの間、自己否定が現れたら、この方法を試してみようと思います。

それでは今回はこれにて。

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