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兄の生命線
『ギャハハ もうお前が でいいんじゃないか?』
『もう けないな』
『もっと いてみろよ?』
『お前はなんでも言うことを聞くお人形だな』
⋯人形? 違う
⋯おれは『機械』だ
お前を『よろこばせて』『たのしませて』『役に立って』いたんだ
⋯その場で『必要』なことは全部やる
そうやって『役に立つ』
⋯そうすれば 生きていける 居場所はある
今はお前のために生きてるんじゃない
⋯弟を守って 幸せにする
それさえできれば
せめて
生まれてきたことだけでも
『良かった』って思えるかもしれない
(天使のような姿をした女性が、両手でポピーの頬を包む)
(ふわりと白い羽根が降る)
『何を夢みているんだ?』
(その天使が真っ二つ割れ中から真っ黒な自分自身の影が現れる)
『お前の命の価値は最初から決まっている。
何をしようと変わることはない』
(降っていた羽根は墨汁を落としたようにぼたりとしみをつくった)
『弟だって、育てるのがお前じゃなければもっと幸せに生きられただろうに』
影は跪いたままのポピーを見下ろして嗤った
『お前じゃ弟を不幸にしかできないんだ』
そして、耳元で囁く
『〝役に立って〟いた? 弱いから〝抵抗できなかった〟だけだろう?』
「!!!」
(口を押さえる)
★
「兄ちゃん?」
ジュニアが夜中にトイレに起きていた、心配そうに兄を見ていた。
ポピーはとっさに口を拭うと
「妖怪ゲロゲロ星人だぞー がおー!」
「⋯」
「⋯」
(ポピー、すべった、と思う)
「⋯妖怪なのか宇宙人なのかはっきりしてよ」
ジュニアが静かに呟く。
(ポピーの心の声 : よかった、拾ってくれた!)
ほっと胸をなでおろす
「大丈夫?すっごい苦しそうだったけど⋯」
ジュニアは心配そうな顔のまま尋ねた。
「!」
ポピー、どきりとして
「⋯とりあえず、流します」
ポピーはそう言ってレバーを引くと、
「念のため消毒と消臭も」
テキパキとハ◯ターをスプレーして拭いて、消臭スプレーを撒く。そして、
「どうぞ、ジュニア様」
と、立ち上がる。
「⋯昨日食ったやつがあたたったかもな。冷蔵庫の残り物処理したから。よくあることよ」
兄は笑顔のままそう言った。
「用足したらおまえも寝ろよ?」
とジュニアの頭を優しく撫でて、台所へ歩いて行った。
「うん⋯」
★
ジュニアは台所の冷蔵庫に貼られた、食べ物と賞味期限のリストを見つめていた。
(ここらへんはポピーの几帳面な部分。ジュニアは知っているので、うっかり腐ったものを食べることはあり得ないと気づく)
★
自分の部屋に戻ると、ドアを閉めてそのまま崩れるように座り込む。
⋯見られた⋯
彼は、ドアの傍にあった『寝袋』を引き寄せると、抱き込んで顔を埋めた。
過去のことを思い出す夢は、家を出てからずっとあったが、少しずつ⋯今はだいぶ、頻度は減っていた。
この寝袋は、ウィリーがくれたものだった。
悪夢で吐くほど眠れない夜、彼女の傍にいると安心できて、何度か寝落ちしていたのをみかねてか、プレゼントしてくれた。
さすがに駐車場で横になったまま眠っている心配だったのだろう。
それからは、この寝袋を抱えて眠っている。よく眠れるようになったし、本当にこれが、だいぶ悪夢を見る機会を減らしてくれている気がしている。
けれどそれでも、もう大丈夫がもしれないと思った時に限ってやってくる、忘れてしまいたい、記憶。
⋯もう10年以上経つのにな⋯
まだ赤ん坊だった弟はもう小学校も卒業する。
なのに自分だけが、あの時のまま変われずにいるようで。
⋯幸せにするって言ったって
おれ自身が幸せなんてわからないんだ
だからお前を信じるだけ⋯
お前は幸せになれる 幸せを選べる
その資格がある 価値もある
そう信じて与えられるものは全部やる
それだけ
なのに、自分の存在証明のために
お前を『利用』してる
⋯ごめんな、こんな兄ちゃんで⋯
ポピーは寝袋に顔を埋めたまま、そう思っていた。
その時。
コンコン
「兄ちゃん」
「!」
ドアの向こうから弟の声がした。
「どうした?」
すぐに声だけ返す。
眠れないのだろうか。そう思って待っていると
「⋯だっこしてほしいんですけど」
意外な答えだった。
「えっ」
⋯敬語?
兄が面食らってると
「いつも言ってますけどね?本当はママがいいんだけど、うちには兄ちゃんしかいないわけですよ?
だから『仕方なく』兄ちゃんに頼んでるわけですよ??」
弟はそうまくし立てると、
「⋯具合悪そうだから無理にとはいわないけど」
そう口をとがらせた。
ポピーはドアを開けた。
「!」
ジュニアは、暗がりの中で見る兄の目元がやつれてるように見えて、少し緊張したが、
「やるの!?やらないの!?やるんだったらすぐしてよね!!」
と怒り出し、ポピーは
「やるよ。やらせていただきます」
そう言ってから、少し笑うとジュニアを抱きしめた。
「⋯」
「⋯」
「ふん、さっさとすればいいんだよ」
ジュニアは文句をいいながらすっぽりと兄の腕の中に収まっている。
「あったかいな、お前は」
ポピーはそう言ってジュニアの頭を撫でた。
「でしょ? ぼく優しいからさ、学校の友達に手が冷たい子いて。時々手握って温めてあげてるんだ」
ジュニアは得意げにそう言う。
「マジか。優しいなお前」
「でっしょーーーーー?」
ジュニアは満足そうに答えると、
「⋯兄ちゃんの体も冷たいじゃん?だからこうやって温めてあげないとってね、思うわけですよ」
そう言って、兄の手を握った。
「お前、そんな風に思ってくれてたのか」
ポピーは、驚く。
「⋯兄ちゃんのためにこうやって来てくれたんだな」
「べっつに兄ちゃんのためだけじゃないし!ふつーーに、久しぶりに子どもに戻りたかっただけだし!」
「ありがとうな、ジュニア。お前がいてくれて兄ちゃんほんと幸せだよ」
「⋯」
ジュニアは学校での仲良しの友達、キャピィ君との話を思い出していた。
『ポピーくん※のお兄さんさ、ご両親のいる住所を忘れちゃったって言ってたよね』
※ジュニアのフルネームは「ポピーブラザーズJr.」。ややこしいが、学校では彼が『ポピー』と呼ばれている
『そうだよー。ほんと信じられないよね⋯』
『僕さ、話聞いててちょっと気になってたんだ。自分が育った、育ててもらった親が住んでるところ⋯そんな大事な場所、普通は忘れないと思うんだよ』
『普通はね。うちの兄ちゃんバカなんだもん。そういう常識は通用しないよ』
『うん。そうだね。でも、お兄さん、もしかしたらだけど。本当に思い出せないのなら、何かショックなことがあったってこともあるんじゃないかなぁ。それか、君に言いたくないか、思い出したくないってことも⋯』
「⋯」
「⋯?ジュニア?」
ジュニアは兄に抱きつくと、
「兄ちゃん、あんまり無理しないでよね。
ぼくは友達もいっぱいいるし、困ったときには助けてくれる人もいる。だけど、ぼくにとって『兄ちゃん』は『兄ちゃん』だけなんだよ」
そう言って兄の胸に顔を埋めた。
「⋯」
ポピーはしばらく何も言い返すことができなかった。
「ジュニア⋯」
ただ、弟を抱きしめて肩を震わせるだけだった。
ジュニアは思っていた。
⋯ねえ 兄ちゃん
今起きてる 困ったこと
なんにも今すぐ変えられなくても
こうやって抱きしめてくれたら
きっとなんとかなる そう思えたんだ
だから
兄ちゃんのことどうしていいかわからないけど
きっと大丈夫なんだ
ぼくには 兄ちゃんが
兄ちゃんにはぼくがいれば きっと